インタビュー番外編、早尾貴紀氏『思想史の観点から見たイスラエル/パレスチナ』

JIPSC/日本・イスラエル・パレスチナ学生会議

日本・イスラエル・パレスチナ学生会議は、イスラエル/パレスチナ問題における、現地において困難な相互の対話の機会を創出することを目的に設立された学生団体です。 毎年夏に議論を交えた合宿体系の事業を行っています。 The official website of Japan Israel Palestine Student Conference.

 こちらは前回出したインタビュー記事の番外編になります。前編に載せきれなかった質問をぜひご覧下さい!

目次
ディアスポラの意味合いとは
メディアの役割と哲学の関係、メディアが持つ影響力について
インタビュアー詳細


ディアスポラの意味合いとは

ー希望のディアスポラというweb記事を発信されているのを拝見しました。その中で、 “移民” と “難民”を包摂する形での “ディアスポラ”という概念というについて書いていたと思うのですが、この意味でのディアスポラと、例えばある一つの国家における外国人問題との違いや類似点はあるのでしょうか。

 

 そうですね。外国人問題といってイメージするときに、まずは外国人は一般的にどこかの国の国籍者ですよね。それで外に国籍を持っている人が自国にいる、ということですが。移民や難民となったときには自分の本来のアイデンティティはこの国の外にあります、というのと少し違うわけです。

 まず、難民の場合は元の場所に居場所がない、ということで来ていますね。そして完全に移民をしましったよっていうケースでは、移住した先の国の一員になり、基本的にはそこに長くいる。ただの外国人としているわけではなくて、移民して来てその社会に居場所を持ち、一員になるということです。その意味では越境的な存在になる、と考えています。

 難民も移民も、そういう意味では “安定したアイデンティティを持った人”としているのではなく、そこを乗り越えて日本だったら日本社会の中に居場所を持とうとしている。その意味で “外国人”とは違う、というのがまず一つあります。

 それから移民と難民という違うカテゴリーを作りましたが、難民は分かりやすくいうと政治難民や環境難民など、自分たちの居場所がなくなって止むを得ず避難してきた人たちです。それに対して移民はどちらかというと自発的により良い経済環境を求めて自分の意思で移民をする。それは主体的で個人的な行為だと見なされがちですね。

 ただ、そこで僕が問題提起したいと思うのは、移民をしてきた人たちにせよ、本当に個人的で自発的なのか、というとそう単純ではないと思うんですね。つまり元の環境が非常に不安定である、とすればそれはやはり政治的な政情不安などがあったり、食うに食われないようなほどの環境があったときに、移民をするっていうこと自体がもう、ある種の非自発性や強制性を持っている。

 これはですね、植民地主義の問題にも関わってくると思うんですけれども、これはしばしば植民地時代の日本と朝鮮半島の関係とか、フランスとマグレブ地方(アルジェリア・モロッコ)の関係とかですね。厳然たる経済活動の中で、経済的な支配、非支配的な関係、圧倒的な資本力を持っている側と、そうではない労働力を奉仕する側というか。これらは非対称の関係です。つまり僕が「日本が嫌になったから移住したい!」というのとちょっと違うと思うんですね。

 なので、移民と難民の境界線っていうのは非常に微妙だと思うんです。単純な二分割ではない、微妙なグラデーションがあいだには沢山ある、と思うんです。そこで移民と難民を二分割にせずに表現したい、となったときに僕は “ディアスポラ”という言葉を用いているわけです。



メディアの役割と哲学の関係、メディアが持つ影響力について

ー僕の個人的関心としてメディアという媒体を通してネタニヤフなどの政治的指導者の考えが、僕ら一般市民に浸透する過程があります。
 それはマスメディア、ソーシャルメディアに限らず法律や政治関係のポスターであるとか。そういう 上の考えを下へと伝える媒体としての広い意味でいう “メディア”と、そのメッセージがどのように受容されているのかということです。
 そこで、今までのお話は哲学者の思想からユダヤ人の世界観を垣間見るということに焦点が置かれていたと思うのですが、こういった思想やイデオロギーが受容される過程についてはどうお考えですか。


 『支配と抵抗の映像文化』という本を監修したのですが、これは主に映画を中心として、テレビのドキュメンタリー映画やバラエティショーを対象としていまして。著者が二人いるのですが。

 『支配と抵抗の映像文化』エラ・ショハット、ロバート・スタム著、早尾貴紀監修、翻訳

 その内の一人であるエラ・ショハットさんはイラク生まれの中東系のユダヤ人で、(イスラエル)建国後間も無くイスラエルに移住するんですね。つまりこの方はイスラエルの大衆メディアを受容しながら “イスラエル国民”になっていきます。

 ヨーロッパ中心主義のイスラエルの中では、彼女みたいなイラク生まれの、アラビア語を母語とするアラブ世界のユダヤ教徒は、ものすごくマイノリティな訳ですよ。それがミズラヒームですよね。彼らもメディアを通してヨーロッパ中心主義的でアラブ文化は野蛮で劣ったものだというような刷り込みを学校や、テレビ、新聞といった日常空間の中で思い込まされていく。それがまさにメディアの役割ですね。

 イスラエルでは主流というか、建国運動を担ったのがヨーロッパ出自のユダヤ人ですし、アメリカからの資金的援助も入ってきますからやっぱり支配階級は欧米的なわけですね。そういうイスラエルの文化秩序、人種秩序の中で、ユダヤ教徒の中でも主流は欧米諸国出身者で、中東にルーツを持つ人たちは二級国民として扱われ、そうすると、イスラエル国籍を持ったアラブ/パレスチナ人は三等国民、さらにその外には被占領地で国籍も持たないパレスチナ人がいる。

 そういう秩序を作っていき、しかもそれを水を飲み、息を吸うように、このようなイデオロギーを日常的に受け取っていた彼らの思想を描いたものが、今取り上げた『支配と抵抗の映像文化』です。もちろん本中ではイスラエルだけではなく広く世界の大衆メディアを取り上げていますが。

 なので、話を戻しますと僕も大衆メディアの役割、メディアを通した支配的イデオロギーの浸透の仕方、受容のされ方、また我々がそれを再生産させて強化してしまうような側面があり、そのことはとても大事な問題だと思っています。

 ですがそこに対し、批判的知識人の役割もあると思います。先ほどのショハットさんは、それに飲み込まれそうになりながらも飲み込まれずに、自分や周りの家族でさえも対象化して、それ自体を客観視し分析をしようとした。それがかろうじて出来た。それが出来るのが知識人ないし思想家の役割であると思っています。

 つまりショハットさんは、イラク生まれでイスラエルに移住したユダヤ人であり、そしてさらにアメリカ合衆国に移民した。アメリカの中では中東系のユダヤ教徒のマイノリティーであるというようなポジションの中で思想形成をしているんですね。

 そうした、時代性、地域性、バックグラウンドを持ちながらも、しかし、批判的分析的な距離を保っている。それ自体が知識人に求められていることであり、知識人の本を読むということは、そのような批判的、分析的な距離を学び取ろうということだと思っています。

ーありがとうございました。

インタビュアー詳細

早尾貴紀氏

東京経済大学准教授。1973年、福島県生まれ。東北大学大学院経済学研究科社会思想史専攻博士課程修了。経済学博士。2011年より東京経済大学に着任。

研究分野は社会思想史。現在は主にディアスポラ(民族離散)の理論的研究とシオニズム(ユダヤ・ナショナリズム)の多角的分析を行なっている。


この度インタビューを快く引き受けてくださった早尾さんに改めて感謝申し上げます。

以下は早尾さんの最新書籍になります。


また、ブックカフェでの読書会も随時参加者を募集しているとのことなので、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

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別記事に募集要項を詳しく載せておりますのでそちらをお読みの上、奮ってご応募ください!!

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